מבנה

連絡先⬛︎graphico_ss@icloud.comへご質問がありましたらこちらにメールを下さい!療養中の身なれば固定電話は簡単には出られませんので。何卒、お許しください。

2013年8月14日水曜日

翻訳、誤訳、欠訳、貧訳  

トーラーの翻訳が如何に至難の技であるか!単に難しさだけではなく一番の問題は誤訳と言うことがあり得ると言うことです。誤訳とは、原作の意を汲めなかった時の問題です。翻訳は十分過ぎる程の或いはそれ以上の神経を使うべきです。また、原作の意識が何処にあるかを理解する事です。先人の翻訳には敬意を払いつつも矢張り今から見れば先人の翻訳が流布している以上それを信じて疑問を持たない人もあると言う事を肝に命じておいて欲しかったと思います。
例えば創世記冒頭を見て下さい。誰もこの翻訳のおかしいところが分からないと思います。
『初めに神は天地を創造された。地は混沌であって闇が深淵の表にあり、神の霊が水の表を動いていた。 』
まるで神は天地をまとめて一括りで作った様な印象を受けませんか?しかしよくよく原文を見ますと天を先に作ってるんです。地は後から作ってるのです。そこまで細かい事を?!と怒りますか?翻訳は感性の問題でもある訳ですので、原作者の意識が見えているかと言う事なのです。如何に読み込みが出来るかと言う事です。翻訳は単なる言葉の移し替えだけなら素人仕事になってしまいます。 ユダヤの先祖達は順序に拘っていたらそう受け止めましょうよ!天地を纏めて一緒に作ってはいない事を認めましょうよ!また、折角作った地が混沌なんですから先が思いやられますが、そういう事も含めて、必要だったから、それらを表現したかったのだと言う事を認めてやる事です。こうした神が創造に手を染めた一連の作業の有様を先ずは受け止める事が必要では無いでしょうか?此処を素通りしてしまうと詰まらない神話で終わってしまうのですが、もう少し読み進めると神がどの様に作業を進めたか、どの様に感じたかを見なければならないと言う事だと思います。
『初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。 』ここで日本語話者は日本語にある敬語に惑わされる事になる筈です。原文は神に対して余計な敬語を使ってないし、そう言う事を気を使った文章ではないです。  

0 件のコメント:

コメントを投稿