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2014年7月7日月曜日

神の定義     

よく「神様を信じます」や「神様は居ます」等の表現を聞く事がありますが、ユダヤ教ではどう考えているでしょうか?ユダヤ教に於ける神は定義された神と言えます。一般的にあるとは言ってないと言う事です。それではどこで定義されているでしょうか?正に神名「YHVH」と言う固有名詞に於いて定義されているのではないでしょうか?元を正せば、モーセに神が明かしたされる「Ehyeh Asher Ehyeh」(一人称的表現)を他称として三人称に改めたという極自然の呼称であったと言う事ではなかったでしょうか?ですから、神が明かしたされてはいますが、ヘブライ人にのみ明かされた固有神と言う意味では極めて選択的な関係を形作っています。「Ehyeh Asher Ehyeh」は翻訳が難しいとはいえ「HYH」のピエル態は「to form,to constitute」として辞書に載っているものです。何故ピエル態に着目したのかと言えば「Ehyeh Asher Ehyeh」がパアル態の強調形となっていると理解するからです。従ってユダヤ教では神は定義されていると言えると言う事です。
現代人は目に見えない者を無理に不自然に信仰と言う精神論で乗り越えようとしますが、定義されない者を相手にするのですから目が空を泳ぐしかないのです。神が人の生き方に無関係で存在するしかないのです。私の様な不信心者は神が存在してもしなくても自分を見失わず手ごろな神が見つかれば契約するでしょうが、神が他称の存在とすれば私は死ぬ迄他称の存在とは契約しないでしょう。しかし、モーセに明かした時点では自称しかなかったと言えると思います。いつのまにか他称の神が生まれたとしか言えません。モーセの周辺では度々神が奉り上げられる現象が起こっていることも非常に気になる所です。本来の神の性格から言って、モーセは本筋を離れたところがあります。モーセが最後にカナンに入れなかった理由は解りませんが、何処かで本来の目的から微妙に逸れて私の思うところ神の名を他称した切っ掛けを作った事が原因しているのではないかと思っています。  
もし、神の定義が選択的ではなく、一般的な存在の神を想定したらどうなるでしょうか?この理解の仕方はキリスト教が選択した神学と言えると思いますが、ユダヤ教で固有の神と交わした契約なのですからその範囲での選民であると言えるのですが同時に責任もあるのですが、一般的遍在的神学は選民を認め難いと言う事にならないでしょうか?これは既に十分偏見的と言えないでしょうか?ユダヤ教では決して遍在的一神教を提起している訳ではありません。生半可なトーラーの誤読に起因しているとしか言えません。     

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