| モーセがイスラエルの民がどうしたら導き出せるか、即ちどうやったら大衆が付いて来てくれるかに不安を隠せなかった時に「持ってる杖を地面に投げよ!」と神に言われ、杖が蛇に変わる事を民に見せれば、民は付いて来るだろうと言われ実際その様になったというエピソードを覚えているだろうか?この場面は大変宗教の或る側面をよく言い表していると思います。しかし、モーセは目的を達成する事なくカナンを目の前にし乍ら死んでしまいます。且つトーラーתורהがここ迄書き残す理由もあったと理解しなければならないと思います。ユダヤの賢人達もモーセが何処かで神の怒りに触っている筈だと考えを巡らせたと言います。何がまずかったのか考えたと思いますが、私は、モーセは色々な機会を与えられたけれど、肝心な事に一切手を付けていなかったと思っているのです。モーセは本来の目的からは少々ピント外れな処があったかも知れないと思っています。折角、民を導き出したけれどこの物語の起承転結の「起」と「結」にはかなりの落差を感じざるを得ません。族長時代には直接的な問題に対して具体的な力が働いたと記述されていますが、モーセの場合には奇跡として表現された以外の事はほぼありませんでした。どう言う事かといえば、モーセの真の目的が宗教の奥に覆い隠されてしまったと言う事です。即ち本質を明かされないまま、成し遂げられなかったと言う事になります。モーセの死には何かメッセージが隠されてはいないでしょうか?トーラーתורהはそれを描写する事によって先ず対象化したのではないかと思います。モーセは宗教化の先鞭を付けたと言えますが、イスラエルの民が脱出する事には成功したけれどカナンに侵入する事には全く力が及ばなかったと言えます。カナン侵入はヨシュアに託し、モーセ自身の問題としては先送りしてしまったと言う事です。民を導き出した事は一大事業であった筈ですが、原義的なEl(力)と言えなかったのでしょうか?結論としてはモーセの行為は伝承作業であって実質的な帰還作業に届かなかったと言う事です。宗教化とは伝承作業であって、真の目的そのままではないと言う事です。 モーセの死は宗教で終わっている内は成就ではないと言う事の謂いであってイスラエルの民族が具体的に何をすべきかを問われているのだと言う事になります。後継をヨシュアに任せて役目を終えた事に他ならない事を伝えてる様です。 |
מבנה
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2014年10月2日木曜日
| モーセの功罪 |
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