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2015年1月14日水曜日

166)トーラーの完結性

トーラーが宗教書の根幹であるのなら、ここに過不足無く書かれてなければなりません。過不足無くと言う事は本来的には余計な解釈はしないと言うのが前提となる筈です。従って書き足しも省略も出来ない様になっている筈です。ユダヤの伝承通り「トーラーを書き写す際には書き足してもいけない。差し引いてもいけない。」という事は当然でしょう。
トーラーは物語の集合です。写字生によって物語性に気を奪われてつい書き換える可能性もあると危惧するのは当然かも知れません。ここで伝承された言葉「トーラーを書き写す際には書き足してもいけない。差し引いてもいけない。」と言うのは何を危惧したのかを良く考えるべきでしょう。もし、少しでも書き換えられると困るのは物語の脈絡が変わる事もあり得ますし、宗教書としての組み立てが変わり兼ねないのです。従って、トーラーの構造は非常に繊細なパーツで組み立てられた危うい構造物と言うしかありません。伝承のされ方が裏付けているのです。トーラーは物語の冒頭から末尾迄を計画的に、周到に構成され、完結した宗教書だったのです。その様に伝承されてます
そこで、トーラーの疑問も答えもトーラーの中に用意してあるという意味での完結性を持っていると言う風に考えなければ伝承する必然性は無いと言えるのです。トーラーには総てが詰め込まれています。ここに書かれている事に対する解釈は無用な行為となります。トーラーの訴えた警告をよく読み取り的確に生かす事しか考えるべきでは無いと言う事になります。ですから、例えば神名「Elohim」は尊厳の複数形と言う解釈は最早あり得ない事になります。どうして西暦0年に総ての時計を合わせなければならないのでしょうか?

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