この星のあらゆる宗教と言われるものは超越的能力即ち奇跡がお好みらしい。ある現象を奇跡と認定してみたり奇跡物語を伝承したりとセッセと再生産する事に暇がありません。巷の宗教家、超能力者も漏れなく奇跡は大好きです。大衆を惑わすには誠に効率的な方法です。大衆はこの手の惑わしにはころっと騙されます。宗教家と大衆を
が一体となってこの関係が定着すると教団は安泰です。安泰とは宗教家、超能力者が教団を運営して行く為に労する手間が省けます。宗教家とは教団を維持する役職の事です。トーラーも例外ではありませんが、唯一トーラーの特異な点はモーセの生涯の終わり方を通して僅かに疑義を呈していると思われます。これは中々気が付きにくい事だと思いますが、トーラーが本来警告の書である事を理解していれば導き出せる事であると考えます。モーセは伝承には積極的に関与しましたが、神の定義に族長達の様に関与した訳ではありませんでした。そこでモーセが多用した事を考えてみれば奇跡的な行為に依存している事が解ると思います。 奇跡とは人の生き方とは無関係な事象です。本来のトーラーにおける神の定義と比べてみれば雲泥の差がある事が解ります。トーラーは人が真摯に生きる為の力の源泉について考えた書である事を考えれば奇跡などは全く関係の無い事です。トーラーとそれを伝承する事は次元の違う事であると言えるのです。 |
| よく「改宗」「入信」とかの言い方がありますが、日本においても半分市民社会になりかかっているので、その様な事もあり得るかも知れません。「改宗」「入信」は必ずしも個人救済を保証するものではありませんが、擬似的に救済を実現するだけです。最低限、教団のミッションに資するだけに終わる事になるだけと思われます。キリスト教における聖人に列聖する事等です。要するに教団の兵隊になると言う事です。要するに教団が個人救済の代わりに教団への奉仕にすり替えてしまうと言う事です。トーラーにおいては親から子孫に伝える事が原則ですから、ミッションと言う概念ではなく、親が子孫の安寧を願って警告を語り伝え継ぐ事ですから、トーラーの物語を覚える事に費やして役に立てる事は一切子孫に任せると言う立場です。従って神の概念は普遍的に語られる訳ではなく、人の生きる力から導き出された源泉として、喩として語られているとい事です。ですから、トーラーの神は単独に取り出す事が出来なくヘブライ人の歴史にくっついて切り離せないものです。その意味で選民と自称する訳で、その事を以って羨望する事には当たらないと言う事です。我々はヘブライ人の生き方を学ぶ事をすれば良いのであって、ヘブライ人=ユダヤ人に偏見を持つなど必要の無い事です。我々が十分学ぶ事が出来なければそれはヘブライ人=ユダヤ人の責任ではなく我々の責任とすべき事です。 |
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