| 宗教は創始者を含め主催者全体で当該の時代に向かって喩を用いて救済の為の処方を述べます。喩はその限りであり、事実とは違っても喩を喩で再解釈し、当該時代に向かって述べられます。しかし、時代が先送られると喩が伝達される範囲が的を射て無い事も生じて来てしまいます。喩が的確さをもてなくなる現象です。宗教が喩で構成されている事にも気付かず事実であると言いくるめて喩を複雑化させることに走ることにもなります。宗教は喩で伝承された事を抽出し、時代が変化しても演繹出来る様にしておく事も必要かも知れません。それを可能に出来るのが、過去に何度も時代の変化を潜って、自己再編成の経験を伝えられた宗教が再度時代を越えられるであろうと考えます。 時代を越えるとは地上の存在に拘泥する事なくどんな時代に晒されても時代を突き破れる強靭な思想を持っていなければ、子々孫々にまで伝えられる思想を構築する事は覚束無いでしょう。従って喩は思想的に象徴的なものに限り温存し、喩を喩で再解釈する事を自粛する方向にいかなければ、宗教は饒舌なだけの垢だらけの古着となってしまいます。 |
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