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人は自分の為に一生懸命頭脳を使い運も身方につけて時には素手で相手と闘い生き抜く事が本来のあり方なのです。いずれの力の根源も一つの一貫した根源を持っているのだと言う主張が結実した言葉が「Elohim」であったのですが、もう一つ神がモーセに顕現して明かした名前が「Ehyeh Asher Ehyeh」(パアル態一人称未完了重複)を短縮した表現「Yehaveh」(ピエル態三人称=呼称未完了)でした。ピエル態になるとどう言う意味になるかと言えば、「形作る」、「構築する」と言う意味になると思います。又、よく「Elohim」は普通名詞。「YHVH」は固有名詞等と説明される事もありますが、私は両語とも来歴のハッキリした固有名詞であると断定します。確かに「El」の語素を持つ「Elohim」は普通名詞と言えなくもありませんが、少なくとも「Elohim」は語源のハッキリした、意味の特定出来る語と言えると思います。 「Elohim」は尊厳の複数だと説明される事もありますが、その論拠は怪しいのです。抑もヨーロッパの王等が一人称で言うべきところを一人称複数で言った事が始まりで、それが二人称に拡がったのですが、三人称までは拡がらなかったので、それを説明する論拠が欠けている問題があります。人称が関係ないならセム語に遡ってその現象が現れた根拠がm述べられてないのではないかと思います。尊厳の複数等と言う説明は全くの思い付きでしかありません。そこには宗教としての主張の欠片もありません。ベルハウゼンは完璧に見落としていました。ヘブライ語で丁寧にトーラーを読んでいたらもっと違う結論に達していたと思いますが、何か思い込みがあったとしか言い様がありません。迂闊でした。 |
מבנה
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2015年7月28日火曜日
| 208)神とは何を訴える喩であったのか? |
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