מבנה

連絡先⬛︎graphico_ss@icloud.comへご質問がありましたらこちらにメールを下さい!療養中の身なれば固定電話は簡単には出られませんので。何卒、お許しください。

2015年7月23日木曜日

205)CONFESSION

私は、学究においては全くの素人です。大学まで行く事は行ったのですが、事情で中退してしまったので、修士論文の経験すら無いのです。ただ、ずっと素人ではあったけれど、思考、思想を人一倍、人三倍位はしてきた積もりではいます。だから、中退後仕事に就いた後もトーラーに出会う事が出来た事が、様々な思考の契機を生み出した事は間違いありません。実は私の人生の初めの方にキリスト教との出会いと離反がありました。その後の左翼運動の経験とトーラー、ユダヤ教への関心が深まり、その内、関心だけでは済まなくなり、ヘブライ語を学ばなければ収まりが付かなくなったのです。幸いヘブライ語を学ぶ事が出来る会に潜り込む事ができ、辛うじてついて行く事が出来る程度になりましたが、学ぶ内に益々このトーラーの理解には遠退きそうになる想いでした。
その会はキリスト教のある宗派の主催でしたので多少キリスト教のバイアスが掛かっていましたが、それ程バイアスを強く感じさせるものはなく、ユダヤ教への理解も深いものがありましたので、私にとって学び易いと言えました。
ところが、五年程前に不摂生の挙句に、病に倒れ、入院生活を続ける内に自分は死に損なった人間であると強く思うに至り、それ迄の事、トーラーに対する疑問を反芻してみたのです。反芻すればする程、トーラーの訴える主張が、生きる者へのメッセージでは無いのか!と強く思うに到りました。それはどの様にして理解出来たのでしょうか。それは人の営為を可能な限り広く採ってそれに対してトーラーがどう見ているかということと、神名の成り立ちへの推論を全く素人的に、学究のルールを無視して考えて行ったのです。そして、トーラーは実は敢えて実相を秘匿する必要のあった書である事が解ったのです。
秘匿と言う意味は民族の祖先から子孫へと伝承される事が目的であると言う意味での秘匿と言う事です。トーラーは本来そう言うものであったですが、これは何故解るかと言えば、