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宗教は大衆を抱えていると言って良いと思います。それは一種、大衆蔑視も含みながら存在しているとも言えます。何故大衆蔑視なのでしょうか?本来、トーラーでは伝承の目的で物語を頻用して伝えようとの意図があった筈ですので、論理的な論文調の文章として遺す事は考え難く、民族としての拡大が小さい段階では大衆に伝承は十分伝わったと思われますが、伝承の真意が十分伝わらない危機感を持つに至った際には、本質的ではない方法を伝承に織り込む手法を採ったと思われます。その手法とは、救済とは全く無関係な概念で誘導する事となります。トーラーの最重要の結束部分の概念は「人の強い意思」、「貫く意思」、「周到な知恵」、「幸運をも身方に付けられる事」、「人のあらゆる営為の工夫、充実」等を主張するものだった筈ですが、宗教的体裁を演出する事に走る余り大衆との距離を姑息に埋めようとの衝動を抑え切れなくなると言う事が現れたと思います。従って大衆の理解出来る埓内の表現に纏めようとの誘惑に負ける事になるのです。大衆のレベルに下げ合わせると言う事です。 トーラーの骨格的主張は人が自己の如何に生きるかに関する事なので、自己内部の葛藤が避けて通れない事であったと思われます。トーラーの場合の救済とは他者が手を差し伸べる類の他力本願ではなく、全くの自力本願的なものでした。因みに、他力本願、自力本願の本来的な意味を私は知りません。自力救済と言う言葉があればそれに近く、人の営為の多側面を追認する自立的な自由な発想に基いているものです。/…… |
מבנה
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2015年8月19日水曜日
| 227)宗教と拡張された大衆 |
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