| トーラーには考え方に変遷があります。変遷とは宗教改革の痕跡が見えます。改革とは見直しです。神の名付けに変遷の跡が見えます。アブラハムの提起した名前「Elohim」とモーセの提起した神名「YHVH=読みAdonay」が並立したり、離れて単独だったりと揺らぎがあります。神を扱いながら考え方に揺らぎがあるのです。揺らぎがあると云う事は神の定義が変遷したと云う事です。神名の名付の方法から解ることは人が生きる事にまつわって神名を引き出している事が解るのです。「Elohim」は人が生きるために発揮する知恵や意思の強さ、運の強さなどあらゆる力、総称的に言えば「能力」と言って良いと思いますが、「El」は辞書には「力」という訳語が載っていますから観て確認してみて下さい。「YHVH」は「在る、存在=HYH」と云う意味の強意形=ピエル態三人称未完了形です。発音はyahvehヤハヴェではなく、エホバでもなく、「HYH三人称未完了の発音yehavehイェハヴェー」と私は推論しています。他人の請け売りではありません。チャンとしたヘブライ語文法(活用表)の裏付けのあるものです。ですから、神が在 るから、真実だと云うことではなく、自分がシッカリ生きる事が先ずありきではないでしょうか? 「Eloheh Abrahamアブラハムの神、Eloheh Yitzhakイサクの神、Eloheh Ya'akobヤコブの神」と云う言葉が数回出て来ますが、「アブラハム、イサク、ヤコブ」の事跡の辺りを読んでみて下さい。 トーラーは先に事跡を記述して、それを由来とする語を定義に使用すると云う、現代では考えられない記述方法をとっている事があります。何故かというと、トーラーの歴史が長過ぎるために、何世代にも渡って編集が行なわれた痕跡です。「Elohim」と「YHVH」が交互に様々な登場の仕方をしている事から分かります。この現象の精査を余命を使ってする積もりです。日本語の神は本来、自然物に宿る精霊の様な事を指していたのです。この翻訳自体にも問題があったのです。明治の初めに欧米の宣教師達が集まって聖書の翻訳した時問題の訳語を何にするか会議を持った時に二候補「神」派「天主」派の間で決戦投票が行なわれ、多数決で「神」に決定したのです。「神」はこうして輸入されたのです。 「神」の原語「Elohim」と「YHVH」について考えておく事は本質的に重要なのです。「神が居るから………信じる。」では全く意味がないと言うべきなのです。「神」と云う言葉を使うなら、私は何をするかと云う設問があるだけと言うべきなのです。私はクリスチャンではないので、神は居ないと言っているのではありません。古代のヘブライ人がどう考えたのか。その子孫のユダヤ人がどう考えているのかを調べているウチにわかった事を書いてみました。 |
מבנה
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2015年10月21日水曜日
| 286)トーラーの表現の癖を知る |
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