מבנה

連絡先⬛︎graphico_ss@icloud.comへご質問がありましたらこちらにメールを下さい!療養中の身なれば固定電話は簡単には出られませんので。何卒、お許しください。

2016年1月14日木曜日

365)矛盾から疑問、主張に耳を傾ける。

◼️私はつい最近になる迄トーラーについては不明な事ばかりで今から思えば全く理解していなかったと言える。病気で外に出かける事も少なく、家に引き篭もって健常人が羨ましがる程のトーラーに没入しているのだから気がつく事が多いのかも知れないが、最近の気付きについてはある程度疑問の形で用意が出来ていたのである。その疑問とは「トーラーのテーマとは?」「神名の謎、疑問」「象徴は何を以って成立しているか?」「物語の共通したテーマと同一範疇性」等々。解決できないまま累積していた事があるのだった。ところが、一部の問題が結び付き、次々とリンクが繋がって行く瞬間がやって来たのである。それは「神の名Elohimの矛盾」
◼️これは複数形をしてしているにもかかわらず受ける動詞は単数なのである。これに対する答えが尊厳の複数と云う説明があると言う事を聞いた事があったのだが、これには本当に疑問を持ったが否定も出来なかったのだが何か絶対に理由がある筈との思いを捨てずにいたのだが、或る時「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と云う表現が何度か登場したのである。「これではないのか?」と思ったのがその後大きく道を拡げる切っ掛けになったのである。尊厳の複数の概念はトーラーの成立より遥か数千年後の事ではないのか?これは次元の違う事ではないのか「神は一つ」と云うテーゼを曲解したヨーロッパの研究者の早とちりではなかったのか?
◼️単数、複数が合わない現象を合理化して説明したに過ぎないのだ!合わなければそれなりの表現目的があったと考えるべきだったのではないのか?この気付きは大きかった!アッ!この書は主張を背負った文学だったのだと思い至り、我に帰ったのであった。現代語に翻訳し難いと言って意味を取り違えてはならなかったのである。
◼️翻訳を一時保留にしても意味を汲み取る事が先決だったのである。これはクリスチャンに要求しても無理な作業かも知れないのだ。こういう問題はトーラー自身に聞くしか無いのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿