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宗教はなんの為ににあるのかを今更考えてもしようがない。宗教を時代の差を弁えず並べてAとA'などと比べて比較してみる事は意味がないどころか愚かである却ってデタラメな方法である。同じAと言う宗教であっても時代の変遷によりA'A"to
変質して行くのである。宗教はこれまで世界観や観念の在り方を提供してきたと観れば良いのだ。人間はどこまでいっても観念の動物である。観念は思考の枠組みの様なものである。これは個人のレベルで変更する事は余程の体験を潜って来たか、タフな精神の持ち主でなければできない事であろう。或いは時代の波が向きを偶々変えた時に起こる事がありえるのだろう。時代の向きが変わるとは個人のレベルではどうしようもない事が殆んどである。例えて言えば、民主主義的価値感などは享受して共有することに万人が認めればほぼ永遠に共有出来る観念の枠組みになるであろうが、政治的な事象である為、民主主義的価値感は意識して護る努力を怠れない価値感と言えるだろう。我々は折角手に入れかけた価値感を手放した苦すぎる経験を持っている事をつい最近の事として思い起こす事が出来るのだ。 宗教によって提供された観念形態は宗教以外の側面にも影響を与えたのであるが、私に限って言えば政治的生活においてもそうであったと白状出来る。或いは、政治的生活は宗教的であったと言っても差し支えないのである。 |
מבנה
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2016年5月28日土曜日
| 324)宗教はこれまで何をしてきたか? |
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