| 私は本当に憂いているところですよ!トーラーがキリスト教的解釈で末代まで旧約聖書として席巻して行くのだろうかと。仕方ないと諦めるには勿体無さ過ぎます。抑も、トーラーは新約聖書の前史として書かれたものでは全く無いですよ!何を勘違いしているんでしょうか?一切イエスの出現を予告などしてしてませんよ!ここが抑もキリスト教の受動的、他律的剽窃的性格を如実に表しているではないですか?キリスト教の地平からはみえてないんですよ!トーラーが何を主張して、何を訴えているかを見渡せなくなっているんですよ!キリスト教の立つ基盤がキリスト教自身が能く見えていないんですよ!自分の進化過程が全く解っていないんでしょう。だからこじんまりした世界観に納まって充足してしまっているのだろう。世界は未完成であるとの覚悟がないのだろう。同じ書を読みながら解釈を捻じ曲げるとは、神の把握の仕方が全く違う。畏敬の「畏」が脱落している。宗教的権威を作る事に感けて何も考えなかったのだろうか?そして真のところですよ!トーラーの学ぶべき点を落として、学びを忘れ、気が付かなかったのでしょうね!その間にユダヤ人は学び続けたんですよ!如何に生きる事についてを! |
מבנה
連絡先⬛︎graphico_ss@icloud.comへご質問がありましたらこちらにメールを下さい!療養中の身なれば固定電話は簡単には出られませんので。何卒、お許しください。
2017年6月25日日曜日
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