| キリスト教世界と亜キリスト教世界とをまとめてキリスト教文化世界と呼んでみることにするとキリスト教文化世界ではどうしても見えない事がある。それは人の可能性の広がりについてである。キリスト教から見た世界は既存性が強く、神の関与性が強過ぎるのである。人には多くの側面と可能性がありながら、観念の狭さ故に無為に過ごしがちになっていたのがキリスト教文化世界ではなかったか?矢張りトーラーは人の食した樹の実は善悪を知る樹の実であったことを告げることで警告を発していたのか?!「世界は決して完成してはいなかった!」キリスト教文化世界は従属する者達の存在も必要としたのだろう。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿