| 私が少年クリスチャンだったころ教会の司祭=神父は外国人(アイルランド)達だった。アイルランド人も歴史的にはイギリス人に差別されていたのにも関わらず人種的にはコーカソイド=白人であるので教会で起きた事は人種差別の言い訳であった。白人社会に一般的にあるのかも知れない黒人差別について、あれは仕方ない事なんだと公言したのだった。教会は狭い地方都市のコミュニティーの一画であったがコミュニティーに属する信者達に差別を赦す風潮が出来上がった事は間違いない事であった。司祭=神父の発言力は如何に大きいかをこのアイルランド人は理解していたのだろうか?後に高校生位になってくるとあの時何故神父の意見を受け入れた自分が恥ずかしくなって、いたたまれない思いをしたものであった。後の教会離脱の下敷きに繋がって行ったのだった。もう、クリスチャンに戻ろうとは思わない。 |
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