מבנה

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2018年1月4日木曜日

旧約聖書と称するトーラーと新約聖書は続き物の書であろうか?単に新旧と言う事ではない根本的本質的編集上の違い、主張の違い、用途の違い等で全く不連続なものである。キリスト教側からは何故か、トーラーをイエスの出現を予言しているなどと拡大解釈して、辻褄の合わない主張をしているが。先ずイエスの表現方法はユダヤの伝統に全く則っていないのである。トーラーの成就とは必要な項目には言及しながら禁止とか命令とかの断定はせずに、注意喚起を然りげ無くするのみである。それを読み手が学び、自らの生存の在り方に結実させる事で目的は十分達成されるのである。イエスは実際はどうだったかは不明だが奇跡を多用し過ぎた。この事はモーセのカナン入域が叶わなかった事と関連付けて、トーラーの中では要注意な部分であろう。イエスの磔刑は残念な事ではあったが、結果はトーラーの視野の範囲を一歩も出てはいなかった事になるのである。日本にも童話、昔話はある様に取り敢えず覚えられるだけで良いのだ。童話昔話は長じてから咀嚼しても十分で、生存の為の知恵になるように予め仕組んである、又は構成されている。共感的宗教書である。従ってそこに書かれている事は全て喩である。全てが創作という訳ではない様々な伝承を組み合わせて喩に投入しているのである。宗教的主張の為に因果律が逆転している所もあるがここは主張優先となっているのである。その様な文学なのである。

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