私はトーラーを読む度に感じる事は、古代の強烈な主張が隠されていて、現代にそれらが伝わるかどうかということにはお構いなしに、それは私自身の問題であると、私自身が問う事なくて先験的にトーラーに用意された答えは一切ないと言う思いを持ちます。トーラーとの応答なくして私が得る事の出来る答えなどタダの一つもないと感じます。よく世間では答えがトーラーの側に用意されてるかの様な態度で読まれている方がいる様に見受けられますが、それは違うだろうと言いたいのです。何故か?トーラー自身が度重なる宗教改革の痕跡と宗教批判の痕跡を持っており、それがひしひしと伝わって来るからなのです。トーラー自身の骨格から見れば良く理解できる筈の事です。私はこのブログを書く意味はその骨格を私の出来る限りの浅薄ではあるけれど知識と論理と勘乍ら明らかにしたいと考えるからです。そうして宗教が何故無理を押して蒙昧な理屈までも信じてまで救済などの事を述べていられるのだろうかと言う疑問に答えられるのではないだろうかと考えるからです。但し、私は無理な理屈を信じる程、頭の構造は上等でもなく、容量が大きくもありません。
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