創世記冒頭の神の創造物語を見れば、人の充足した生き方の理想的な姿を見る事が出来るが、アダム以降の物語は如何に神の完成された姿から近接しているか乖離しているかが、善悪の指標となっている。但し、そこに描かれている神が既に一つであると言う抜き難いスキーマには疑っておく必要がある。確かにそこに登場する神の単語は複数形で書かれてあり、それを受ける創造すると言う動詞は単数であるため、複数形の神を一旦「尊厳の複数で単数扱い」と言う合理化を施しているのがクリスチャンの一般的な説明の仕方になっている様だが、物語が進行するにつれ何故文法的に矛盾を冒してまでその様に表現せざるを得なかったかが理解出来る箇所が現れるのでそこを注意深く見ることにしよう。従って、神の創造の仕方を分析する事によって人の生き方をどう古代のヘブライ人が考えていたのかが解るだろう。人が何に依って活性化して生きる事が出来るかを細かい点にまで体系的に分類して考察している事が解るだろう。特に見落しが無いように入念にトーラー各物語を通してチェックを入れている事が解るだろう。/続く
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