| トーラーの中に意味不明な表現が多くありますが、それを解明するために見方の角度を変えたい時、そのキーワードが過去の宗教改革の痕跡がないかを調べてみるのも一案だと思います。例えば、Elohimと言う単語が多く使われていますが、Elimと言う表現が極端に少ないのは何故かと言う事から考えたいと思います。辞書にElohimの単数形としてElohaと言う風に出て来ますが、この項には一説にはback formation=逆成語と言う学者もいるとも載っています。と言う事は、平たく言えばElohimが先にトーラーに記載されたという意味な訳です。確かに申命記を始め、ヨブ記等にはElohaは特に多く出て来ます。これはElohimの単数形=Xが分からなくなって以降の時代に書かれたと言う事では無いでしょうか。 宗教の内部に居ると見落とし勝ちになる事かも知れない事があります。宗教と言うものは、既存の宗教に対して批判する契機を持っていた経緯があり、又、その主旨を大衆に対して否定すべき既存の概念を利用しつつも批判的な立場をとろうとするのでは無いでしょうか?だから新旧の宗教の間には連続する部分があり乍ら、不連続の部分も共存します。連続する部分は両者に共通したストーリー、神話、伝承等をもたらし、中心課題は巧みに合致しないように違いを際立たせようと双方が運動しています。 確たる根拠を持ってる訳ではないけれど、Elohimの単数形=Xが何かと考えるよりは、別のアプローチがあるのではないでしょうか?それは過去の宗教改革の痕跡がカナンの宗教としてあり得ると言うところを探っても良いのではないかと考えました。何故カナンの宗教かと言えば、カナンの宗教を巧みに否定する必要があった筈と言う事と、新たなアブラハム的宗教の杭を此処カナンに打ち込む為には何らかの工夫が必要だったと言う推論を持ったからです。アブラハムの宗教の優越性は様々に語られていますが、優越性とは別にカナンの人口を取り込む必要があったと考えた方がいいと思います。と言うのは宗教的継承権はセム的な世界では男系の方ににあって、女系には無いと見るのが普通だと思われるので、アブラハムの子孫がカナンの諸族を吸収して行く為には通婚的融合があり得たと考えるからです。さて、此処からが私の既存の宗教には関わりの無い自由な推論を展開する段になります。カナンの宗教とは恐らく女神崇拝だっただろうと言うのが前提になります。すると、神の概念をアブラハム的に変更する必要があった場合、女神Elahは既に神の一般的な概念になっていたと見るべきなのです。べきと言うのは大衆にとって解る概念は寧ろ女神しかなかったということです。Elahのahはカマツガドールでしたが、Elahを男性名詞複数形として転用するにあたり、理由は解りませんが、Elotにはせずにimを語尾に付けるとアクセントがimに移動するため、ahはアクセントを失い、カマツカタンohに変わると言う事です。ですから一旦女性形を経由したので後になって解らなくなったのですが、アブラハム一族がカナンに定着する過程で起こった事と理解しなければ解らない事だと思います。/続く
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מבנה
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2013年7月8日月曜日
| 宗教は自ら宗教批判を内包している。 |
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