トーラーの織物は縦糸、横糸の他、斜行する糸もあり織方も様々です。その構成を解きほぐすのはその最初の創世記の宣言文に糸口が文字通りみつけることが出来ます。 創世記冒頭は単なる神の世界創造の物語ではありません。よく考えてみてください。誰がこの世界の始まりを見て来たと言うのですか?子供にしか通用しない話しを大人が真に受けてどうするんですか?子供でもいずれは変だなと思うことです。そこでトーラーを編み出した記者達の気持ちになって何を訴えたかったのかを察してやろうじゃありませんか。世界創造の物語の様に作っておいてそこに仮託して何かを言ってませんか?それ位の知恵は働かせようじゃないですか!?さて、神は最初に何をしたと書いてあるか?その前にこの時の神は複数形Elohimです。一般名称と言えます。次に、従来は「創造した」と訳されているところの目的語は先に天であり、その後に地となっています。日本語訳の多くは天地と一括りに表現している場合が多いと思いますが、配慮の足りない訳と言うしかありません。トーラー記者は明らかに別のものとして表現し、後先を意識しているのに対して、日本語訳では恐らく天地という言い慣わしが元々あったものを杜撰な感覚のままに援用したと云うことでしょう。やはりトーラー記者の意図を推し測る気持ちがないと後代に残すというと云うことが半減してしまうことになるので先立って事を進める者は心しなければならない事だと思います。但、最近は伝統的に「創造した」と訳して来た語をオランダの考古学者の提案により「分けた」と訳す可能性もでてきました。しかし、この問題は決して混乱の原因にはならず寧ろ神の行為として適切であるという考え方も可能なのです。
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