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2014年1月6日月曜日

不可知論とヘブライズム     

無神論とは違う議論ですが不可知論と言うのがあります。これは確かにヘブライズムに対しては相対する議論です。キリスト教世界に発生した懐疑論の亜種です。ヘブライズムは現象の対象化にかなり 積極的であるのに対して不可知論は対象化を積極的に評価していません。不可知論は既に対象化されたものには疑問を発しない半面、未だ対象化されていないものに対しては対象化に踏み出していない議論の在り方です。ヘブライズムはその点ポジティブに世界を対象化に踏み出し、整理し、分析、構成迄踏み込んでいますが、不可知論は認識までが精一杯の為、途中で折り返して、世界への働き掛けに踏み出していないと思われます。ヘブライズムは人間のあらゆる営為の諸側面に適用されるのに対して、不可知論では認識の問題に限られる為世界への働き掛けには無関心と言えます。認識が改まれば世界の改善などに供されると云う考えもありますが、人間のあらゆる営為に関する事には遠く及ばない事です。
不可知論は認識の為に既にハードルを設ける態度ですから、知の怠慢と言えます。トーラーは創世記に於いて神が無駄に「光りあれ!」と言ってる訳ではありません。世界に主体的に関与する為に可視化しようとの態度ですから、極めてポジティブな態度である訳です。創世記はトーラーの単なる最初に置かれただけではなく、トーラーの基幹部分に位置しているのだと思います。以降のトーラーの物語をこの基幹部分との対比で見て行くと奥行きが出て来ようと言うものです。  
不可知論とは大袈裟な名前ですが、全く人間の可能性を信じてない日和見な議論です。ヘブライズムの側から糾弾したいと思います。人を知の手前で立ち止まらせる権利など誰にもありません。それを事もあろうに断定的に、人は知る事は出来ない存在などと決め付けられるのだろうか?謙虚でいる事とは違います。何を知り知らないを知る事はあっても、人に知る事は出来ないなどと断定する事は何と愚かであろうか!従って私は不可知論の立場ではないとお解りいただけるでしょうか?     
確かに不可知論は定義の曖昧な存在に対しては成立するかもしれません。ところがトーラーに於いては注意深く定義を行なっており、明瞭に不価値論を撥ね付けています。     

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