Elohimאלהיםエロヒームは「神」の普通名詞として頻出し、知られている形です。しかし、これは形の上では男性、複数形で、簡単に単数אלElに遡れないのです。そして、一般的には、Elohimの単数はElohaאלה(母音記号省略)と言われていますが、私の推察では単数はElahאלהだったのではないかと考えています。Consonantだけを見ると同じに見えます。Elohaאלהは再建された単数形との説*(1)もあります。と言う事は複数形が先行して存在したと言う事です。 私の推察では一旦女性形にシフトして大胆に男性形複数形を繋げるという荒技を行ないます。実際にElahאלהは女神と言う意味で現代ヘブライ語辞典にも載っています。過去のカナンの宗教とアブラハムの宗教との葛藤の痕跡と見れば、それ程無理のある話ではないと思います。カナンの神の通常態が女神からしか捉えられなかったとしたら、考古学的にも発見し易いとの甘い考えも持ちます。しかし、ElohaにしてもElahにしても、恐らく同形のスペルで発掘される筈なので、明示的発見は難しそうです。/…… |
それではElahがEloh-になる訳は?この件は何度も書いていますが、先にあったカナンの女神ElahがElotに変化するのではなく、男性複数形-imを接続した結果、アクセントが-ahから-imに移動した為、-ahのカマツガドールがカマツカタン-ohになったと言う変化があったのではないかと言う推察です。あまりの突飛な発想なので受け入れられ難いでしょうが、寧ろここは発想のダイナミズムを持たないと乗り切れる問題ではないと思っています。それでは、何故神を複数にする必要があったのでしょうか?従来の解釈では「尊厳の複数」と言う説明もあった様です。私の考えではもっと身近にその理由が見付かります。それは出エジプト記第3章、第4章等に見付かりますが、3人の族長名が連名で引用される等して明示されているのです。複数形ではありますが、神が何人も居ると言う意味ではなく、Elの原義に戻って考えるべき所ではないかと考えます。原義には「力power」の意味がありますから、三人の族長に其々現れた神の其々の属性は一貫しているのだと言う主張が込められており、これら其々の族長の体験を通して表現された神の属性を纏める機能を有していたのだろうと思います。さて、ヘブライ語がいつからカマツガドールとカマツカタンが同じ記号(ニクダ)で発音がaとoとに違う発音になったのかについて私は知りません。ただ、抑もカマツカタンの方にはアクセントが来難くいのではないかと思っていますので、同じ現象がニクダ導入時以前にも当然あり得たのではないかと推察したのです。ニクダ導入時に規則が始まったと考える事自体が逆に不自然です。寧ろヘブライ語研究者の批判を仰ぎたいところです。 次にYHVHיהוה(Adonay)日本語で「主」と訳されている部分です。神の固有名詞と言われている部分です。ユダヤ教としての伝統的な言い換えは「Adonay=主人」です。又は「御主人」ですから、どうせ翻訳するならこっちで良いと思うのですが「主」では色々な意味に取れるので感心はしません。YHVHיהוה(Adonay)の由来は素直に出エジプト記第3章14節をご覧下さい。ここでは神自ら自己紹介をしていますが、日本語訳は何を言わんとしているのか全く理解出来ないところです。訳者自身が掴めているのでしょうか?日本語訳「私は有る。有ると言う者だ。」こんな日本語はとても不自然です。何の為に翻訳するのかと言いたいです。どうしても翻訳し難いのであればその理由を記入しておくべきだったのではないでしょうか?ヘブライ語ではאהיה אשׁר אהיהと書かれています。אהיה はパアル態動詞(普通動詞)未完了形です。確かに未完了形が関係代名詞で繋げてある形ですから、どう捉えて良いのか解らないと思いますが、「ある。」と言う日本語訳では違い過ぎる!と言わざるを得ません。אהיה が二つ重ねてあり強調形ではないかと推察するにここでは留めておきますが、この部分は必ず大胆に推論を進めて行く予定です。/…… |
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