מבנה

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2014年6月19日木曜日

「トーラー」と「人の固有性」「エデンの園物語り」   

「トーラー」は人の立場と言うのは一般論として成り立っているのではないと言う見方をしています。人の固有の利害を抜きには語れないと言っているのです。従って、立場抜きの一般論は成り立たないと言う事です。人が生きるとは固有の生き方を自ら決定し、営為を果たす事でしかありません。誰の為でもない自分の為、自分の納得を得る(?)為に生きる事しか有り得ないと言ってると思います。「トーラー」では真っ先に神の営為として述べているのです。神は誰に命令されて世界を創った訳でもなかったのです。一つ一つ、日毎、納得しながら神の営為を行なったと言う事です。この様な在り方を人を創る時に息を吹き入れる事によって人に生きるとは何かを伝えた筈だったのです。アダムの罪はエデンの園の木の実を食べた事そのもののには関係なかったのです!アダムが神から伝えられた自ら決定を下す事をせずに、蛇と女エバの言われるままに従ったという自己決定を放棄した罪だったのです。物語りの表面的な言葉に引き摺られると、解らなくなるのです。ここを見逃すと後の物語りは読めない、読み誤ると思います。
この現象は、木の実の物語りで覆った秘匿的叙述である可能性があります。誰もがてっきり木の実を食べた事が罪だと思ってしまいます。しかし、ここを落とし穴にしておかないと、トーラーと言う遺書が書けなかったのです。トーラーを迷宮にしておかなければ愛する子孫に遺す財産になりません。この遺書は異邦人も盗み見る可能性があったのだろうと思います。
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もしアダムが罪をおかしたとすれば、それは何罪になるんでしょうか?その答によっては神は人を作る時に息を吹き入れて罪をおかす者としたとでも書いておけば良かったのではないでしょうか?抑も「生きる」の意味が根本的に違います。アダムは何故身を隠したのでしょうか?断罪される事を恐れたのでしょうか?疚しさはアダム自身が気付いていた筈の事だったのです!  

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