| 創世記の「神が世界を名付け乍ら創った」と言う物語は既にそこから逆接的にスタートしている事に気がついて欲しいのです。何故なら、何かを創ると言う事は名付けの後には決して出来ない事です。先に名付けがあって、後からの創造は決してあり得ないのです。何処からか「神様だから出来るんです」と言う声が聞こえて来そうですが。(笑)幾らでもこじ付けはしても構いませんが、こちらが気を確かにしておかなければ、創世記は書き出しから逆接的に書かれている事に素通りしてしまいます。ですから、この書は仕掛けが有ると言う事の宣言から始まっている様なものです。仕掛けが有ると言う事は表面的な受け止め方は出来ませんよ!と言ってる様なものです。神がこの世界を創ったんですか?それを鵜呑みにするんですか?この書は物語に仮託して真実を自ら気付いて自ら築けと言っているのです。その為には、人が自立していなければ出来ない事ですからトーラーの仕掛けを乗り越えて自ら真実を掴んで、真に生きよ!と言っているのです。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿