| 日本においてトーラーを直接取り上げて直接研究する事は殆んど見られません。必ずと言って良いほ程キリスト教の立場を一旦通して観るという染み付いた立場が主流です。直接手に取るとは困難であっても原語を読むと言う事です。何故キリスト教から間を取って観る事が出来ないのでしょうか?トーラーに相向かい合い考えてみれば良いのですが、キリスト教が言及した事を通してしか考えられないと言うレベルに終わっている事はトーラーの真の理解を自ら遠ざけている事に他なりません。抑も日本にはトーラーと呼ぶ人がほぼいません。キリスト教の立場からしか観る事が出来ないので、旧約聖書と言うのが精一杯です。オマケに旧約聖書は古い契約なので破棄されるべき遅れたものである。と、未だにユダヤ人は旧約時代から抜け出せていない遅れた人間達なのだと教会の奥の方では囁きあっている始末です。言われなき事です。ユダヤ人の守っている食餌規定を奇異な習慣だとして揶揄しているのです。偏見は教会の奥の方で醸成されているのです。全く言われない一方的な、決めつけが行われています。偏見を植え付けるのは常に聖職者の役目と相場が決まっています。偏見は無知な平信徒を囲い込む方法に適している様です。権威を笠に着て効果的な植え付けが罷り通っているのです。これではマトモなユダヤ理解、本来のトーラー理解をしようと言う気運は起こらないだろうと思います。私が危惧するのは宗教的な人間達がどんな偏見を持とうと関心は全くないと言って良いのですが、強いて言えばキリスト教の需要が大きいと言う事かも知れません。従って、研究者数自体にも偏りがあるのだろうと推察します。しかし、そうであっても、日本の思想界にとっては健全な公平な研究土壌が醸成される機会が狭まることを同時に意味している訳ですから、かなり憂うべきと考えて良いと思います。トーラーは雑音のない環境で相向き合う事の出来る研究者が行うべきと思います。宗教的な紐は全く不要です。こうして、偏見の入る隙の無い形にすべきと思います。/…… |
日本にはトーラー学習をサポートする教材は少ないとはいえ、原語との対訳聖書が発行の途上にあります。閉ざされてはいないのです。対訳以外にも文法書も十冊近く発行されています。全てが良書と言う訳ではありませんが、決して不足はないと思います。又充実したヘブライ語日本語辞書もあるので、学習の機会は十分揃っていると思います。語学学習は退屈な面がありますが、ヘブライ語は日本語とは全く違った面を持っているので学習途上で飽きる事は少ないと思います。学習の暁にはトーラーの長旅が待っているの楽しいで旅仕度になると思います。 トーラーを直接学ぶとは何の束縛もなく自由にトーラーから汲み取れると言う事です。教会を主催している方もトーラーを学んでいる事なのです。教会に限らず、思考の豊富化を目指すものは誰でも読むに耐える価値を持った書であると言えると思います。 |
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