מבנה

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2015年6月7日日曜日

177)キリスト教が独自性を語らないなら、最早ユダヤ的出自は語り給うな!

 
これ迄「キリスト教のユダヤ性」に言及する方達の存在は知ってはいましたが、そして、確かにキリスト教の出自はユダヤ教だった事は認めますが、
言葉上の共通性、類似点があるからと言って、内実は世界観的ベクトルが正反対であると言わざるを得ません。世界観の向きすら正反対なのですから、寧ろユダヤ教の方が斬新な世界観を持っていると思います。創造性に比重をおいた点において非常にオリジナルであり、オールマイティーを持っていると感じざるを得ません。
当然トーラーの解釈と言うより取り組みが全く違います。キリスト教の立場でユダヤ性を主張する事は必要ない事であるし、最早ナンセンスと思います。ユダヤ性に依存する必要もない位別の存在だと思います。キリスト教が何故例え出自がユダヤ教にあったとしても、それを明らかにする事が如何程の意味があるのか解りません。私はユダヤ教については良く理解している積もりですので、キリスト教の中に我が宗派は如何にユダヤ性を持っているかに言及して、或いは正当性を主張する事が滑稽に見えます。ウチの宗派はユダヤ教に一番近いんだと主張する事が、どう言う意味なのかサッパリ解りません。いっそのこと教団ごと改宗してしまえば良いのです!直に解る事は単なる皮相的な真似していただけだったと言う事だけです。ユダヤ教は次世代の為に記憶が枯れない様に色々工夫はします。ユダヤ人は継承されたものに触発された自己流の行ないと思考と仕事があるのです。ユダヤ人は各々のオリジナルな行動があり、それを大切に思い、堂々と行なう事を誇りにするのです。それがトーラーの実践的適応です。トーラーを学び実践的行為に結びつける人達なのです。それに反してキリスト教では現実に対しては目を背け、寧ろ現実には関わらない様に促したり、現実に対して無関心で居られる様に、喩として使用した言葉「霊」という架空の概念を多用して盲ましを拡散しているのです。トーラーは現実に還元出来る原理しか関心はないのです。我々は現実世界に相まみえて誠を貫かなければならないのに、めを虚ろにさせる事が奨励されている様なものです。我々は銘々が自己の責任で問い、答を得る事をしなければならないのです。何の難しい事ではありません。我々は今ここに生きている事から逃げる訳には行きません。
 

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