| 「新約聖書」/「旧約聖書」の枠組みでしか観察が出来ないとトーラーの客観的価値を評価する事は何時まで経っても出来ないでしょう。特に、「旧約聖書」は挫折の記録でしかない。拠って破棄するのが当然と言うヨーロッパ的思考はそれこそ挫折を知らない偏見であると強く感じます。実に新約聖書は奇妙な視点を持っていると感じざるを得ません。いったいこの書の目的は何でしょう。目的と言うのは人がここに生きている時空を肯定はしていないのだろうと思えてならないのです。現に人が生きているこの世界を観ているのだろうかと、非常に疑問に感じます。目に入っているんでしょうが、空ろに感じてしまうのです。/…… |
この記事はWalther Zimmerliツィマリー(1971)の「旧約聖書の世界観」(教文館/山我哲雄訳1990)を批判的に読み乍ら書いています。ドイツのキリスト教徒の平均的な感性を表現しているものと思われます。 なお、Zimmerliの固有名詞の正確な読み方は不明ですが、ドイツ語的にはツィンマリーが近い筈ですし、英語的に発音すればズィマーライが考えられます。この本の訳者も含め正確に近い訳出をして欲しいと思います。特に固有名詞は特殊な綴りもあり得ますから、編集者も含めて配慮の必要な点であると思います。 |
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