| 舞台はエデンの園でしたが、中央に二本の木が植えてあったのですが、そこには明確に(A)生命の木と(B)善悪を知る木の二本があり、 cf.《GEN.2-9》二者は丁度正反対の特徴を持っていたのではないでしょうか?(A)生命の木とは主体的に生きる事を意味しており、神の生き方にも合致していますが、(B)善悪を知る木とは、一見知恵の象徴の様な木に見えますが、却って小賢しいだけの主体性の無い従属性を象徴する様な特徴を示しています。知は知の奴隷にもなり得るとの警告も込められているかも知れません。二者は人を試す事に用意された様にも見えます。しかし、人は蛇の言うがままに従属してしまったと描画されています。人は土で創られた時、物語上では神の性格を息を吹き入れられて正に生きる者となった cf.《GEN.2-7》筈なのですが、神の主体性と言う特徴を見事に裏切った形になった訳です。この物語は決して人の原罪とか罪悪性を述べたものではなく、主体性を得たか従属的に陥ったかの岐路に立たされた境地を表現したものであると言う事が言えると思います。 アダムとイブの物語が主体性、従属性の問題に繋がるとは唐突に聞こえるかも知れませんが、、トーラーの全体のテーマとしては呼応しているのでこの問題であると言えます。又この物語は行為と定義を同時に記述すると言う宗教書独特の手法を採っています。即ち、B)善悪を知る木が、定義となっており、それを唆されて食べると言う定義と行為とが同時に行われているのです。 |
מבנה
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2015年6月27日土曜日
| 188)最初の男と女の物語に何を託したのだろうか? |
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