מבנה

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2015年8月2日日曜日

 
213)宗教家が忘れている事

 
宗教は言葉の構築物です。それ等言葉は何等かの喩で出来ていて宗教家はこの喩を使って雄弁に語るのですが、宗教家が決して触れようとしない事があります。それが喩の意味が何を表しているかと言う喩の定義です。その宗教に集まってくる信者と称する大衆は喩が何を語っているのか解らぬまま自分の解釈を施し理解した積もりになっているのです。信者は自らの組み立てに従って行動するので倫理的抑制を失ったまま行動する事だってあるのです。倫理的抑制が失ったままの行動に直面して宗教家は始めて気がつくのです。そんな積もりではなかったと。宗教家の怠慢だったと気が付いた時にはもう遅いのです喩の定義とは何でしょうか?それは、現代、当代の言語、意識に翻訳する事です。当代、現代の実態的表現に改める事です。即ち宗教家こそが現代、当代に学ばなければならないと言う事において外ないのです。しかしながら宗教家はドメスティックな学習は繰り替えしますが、当代、現代は感化すべきものとして上からの目線になりがちなのでしょうか、科学的、政治的等あらゆる学習をやってる様には見えないのです。宗教家にこそ求められる事を敢えてしようとしない事は怠慢以上の悪意を感じる者です。

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