מבנה

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2016年1月10日日曜日

358)今年の私の学びの心構え

学びを生業とする者乃至、必然的にそこを通過せざるを得ない者に取って学びの障害になるものは何であろうか?それは単刀直入に思い込みとか、無批判とか、偏見とか固定観念とかバイアスと言う種類の観念ですと言います。これが無いと云う人が居るだろうか?いたらお目に掛かりたい。偏見など持たないに越したことは無いが人間は止む無く「観念の動物」である。これに気がつく為に必要な事は人間らしく躓く事しか無いのである。要するに失敗である。失敗して振り返る事しかないのである。自分は絶対に失敗しないと思ってる人間は伸びしろがないと思って良いのである。学びの必要性を感じている者はそれを見越して気を付けながら学べば良いのである。しかし、矢張り偏見を見逃す最大原因は自分に対する奢った根拠薄弱な自信過剰な思い込みであろう。それを訂正できる者は自分の他にはいないのだから、躓く以外にはないと言って良いだろう。
例えば私の場合、トーラーの凡ゆる点について疑問が生じて 何とか解消しようとしたのが動機だったのであろう。知的な動機など無かったのであるが、何かを訴えてる声が聞こえたのが入り口であった。すると、この書が言葉でない所での知性が垣間見えた時があったのである。例えば、神の創造の仕事の度に「何と良き事哉!」と繰り返すのである。又、何も存在してない所から創造する事は人間の覚醒に似たりと感じたのである。これは思いの外、仕掛けを入れた作品では無いのかと思う様になってからである。仕掛けとは構造的訴求と言ったら良いのかもしれない。これを整理して調べ直せば何かが解るかも知れないと気付いたのである。その後「言葉だけでは解らない、即ち全体の力学を調べる事が可能であろう」と考えるに至ったのである。しかし、言葉で出来ているものを言葉で無い所の構造をどうやって調べるのか?と云う問題にぶつかったのである。答えは比較的直ぐに見付かった。言葉の上位概念「物語どうしの関係」を測れないかと。その様な視点を得た事により次第に全体像が徐々に見え出したと云える様になったのである。詳しくは更にブログを続ける事によって明らかにする予定である。

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