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2016年1月6日水曜日

351)トーラーと労働概念

トーラーにおいては労働は重要な概念である。但し、単独の概念では無いところにトーラーの特徴があるのである。例えば現代のユダヤ人家庭で何が労働か労働でないかが宗教的に指定がされていて、トイレのあかりのスイッチを入れる事が安息日には出来ない事になっているとか笑えないエピソードがある様であるが、流石にこれはパリサイ派の末裔だけの事はあると云う事になっている様である。そこまでしなければ子供たちに徹底できないのかもしれない。労働概念は何故若干忌み嫌われているのだろうか?トーラーは労働の概念を厳密に定義されていた筈である。トーラーでは神の創造行為は充足された自らの為のものであった筈なのだが、恐らく人間にはあらゆる労働を一括して充足があっても無くても禁止をしなければ、不本意労働に陥るとの懸念があると云う事なのかもしれないが、本来的目的としては「労働によって充足を得よ!」以外に無いのである。その方法として創世記冒頭に示したイデアルタイプス「不本意な労働はしない、充足した自らの為の労働をせよ!」と云うところに振り向けられなければならないのである。
従って、安息日に労働をするな!は意義を記憶するという意味では正しいが、充実した労働する為に構想を練る事の方がより適切だと言えるのだ。残りの平日の労働がより最善なものになる様に準備をする事の方が適切だという事である。
現代のユダヤ教が伝承の為に如何様に解釈しようと、口出しする積りは無いが、但し、トーラーでは労働概念も含めて人間の凡ゆる営為に対して、即ち生きることに纏わる総ての行為を神名もなどに結実させて取り扱っていると見るべきなのだろうと思うのだ。

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