מבנה

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2016年1月17日日曜日

374)書の性格を知る。

tantable
旧約聖書OldTestamentは言って見れば遺言書の様なもので、子孫に遺す「生きる」を最大価値に据えた脳トレの書である。新約聖書NewTestamentは旧約聖書の創り上げた喩の骨格を踏襲しながらもドメスティックな思考(喩を実体化する事)に収まりながら、組み立てている書である。この二書を続き物の様に見做すと大いに間違う事になるだろう。編集方針が全く違う事以上に重大な点に於いて新約聖書は旧約聖書が提起した問題意識を正しくは継承していないのである。矢張り新約聖書は旧約聖書より新しい時代に入っているのであろうか!先ず抑も旧約聖書は旧約聖書として書かれた事が只の一度もないのである。旧約聖書OldTestamentはキリスト教が牽強付会的に名付けたものであって、抑もは旧約聖書はヘブライ人の内部で書かれたものであって、新約聖書の予知をする事は事実上不可能であったのである。新約聖書が旧約聖書に予告されていた(イエスの出現を旧約聖書が予告していたなどと言うことは牽強付会の極みである。仮にそうならイエスはユダヤ教の中でトーラーを否定し乍ら、トーラーの予告だけを頂けるのでしょうか?パリサイ派だけを批判したのなら、トーラーの根幹だけを忘れる事ができるのでしょうか?新約聖書は旧約聖書のバリエーションではありませんでした。パリサイ派はイエスの言う通り形式主義に陥ったのかも知れません。しかしイエスは冒してはならない領域に入ってしまったから当時の共同体から弾き出されたと観るべきでしょう。罪の贖いなどは後からのこじつけと言うしかありません。キリスト教の組み立てはユダヤ教が既に提供した喩構造をソックリ利用した架空性の露わなものでしかありません。

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