| 倫理の問題は、どの様な側面でもあるのだろうが、トーラーではあのモーセの物語の中に十戒の物語があるが、どう言う理由で倫理の問題がそこで出てくるのか私は若干考察が行き届かない点である。トーラーの主テーマとは離れていると思うからである。倫理とは人間同士の弁えるべき事項であると自分は思っているのだが、神の警告的シグナルに応えるという意味なのであろうか?倫理事項を先行的に契約して神の制裁を前以て回避しようと云う意味なのであろうか?私にはどうしても唐突に感じてしまうのである。モーセより前に於ける神の制裁はそれが起こってからでないと制裁であるかどうかも解らないのであるが、モーセが自ら求めている訳ではないにしても、事実上モーセの時になって初めて契約を求めた節が見えるのである。実は、モーセの物語では十戒の石板は確かに神の手になるものであったけれど、トーラー全体から見ればこの様な倫理問題と引き換えの契約をした者は他にいないのではないかと思う。それ程モーセの記述は特殊であると思っている。モーセは何の理由か約束の地に入域することなく亡くなるという事になるが、この理由もトーラーの書き方の流儀で謎になっているのだ。それを考察する事も我々には任されていると言って良いのだ。モーセの死はトーラーの書き方に戻っているとも言える。モーセも制裁を受ける何らかの理由があったという事になるのだ。 |
| 私は創世記と出埃及の間に大きい断絶を感じるのである。出埃及はテーマを引継いでる様にもみえるが、明らかに宗教化=記憶化の過程に入っていると感じる。伝承部分と宗教化部分の接続点にあって、それが民数記、申命記へと繋がって行くのであろうか? |
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