|
❶神のヘブライ語単数は[El](power)であるが、女性形は[Elah]女神である。アクセントは最後の音節。❷トーラーの神の一般形は[Elohim]男性複数形である。❸[Elohim]の単数はどういう形になるだろうか?辞書では[Elocha]が再建形として載っている。トーラーには登場しないのである。なぜなのか?「神は一つ」との主張がある一方で、あるのは[Elohim]複数形である。又アラム語文献にはElohと言う形もある。❹El がElohimに至る過程を辿る事は今出来ない。トーラーに痕跡すら出て来ないと思われる ❺トーラーの記事中には何度か「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と纏まったのフレーズとして出てくるのであるが、これがElohimの中身ではなかっただろうか?神の数(countability of God)を言ってるのではない事は明らかであろうう。編集の順序が逆になっているが、先ず各族長達の生き方の描写があってこれら生き方の源泉を訪ねる過程で生きる為の能力をElohimと纏めた為の複数であったと理解するしかないであろう。これで「尊厳の複数形」論から解放された筈である。 「神が一つ」の意味は人の諸々の生存の為の能力(ability)は一貫したものだという主張だったのではないのか?と言う神の数の事ではなく、人の生存能力(ability of life)について言ってることが出発点だったのであると理解すべきではないのかと考えるのだ。何故ならトーラーには順不同ではあるが、如何に族長達が精一杯の意思を貫き、知恵を振り絞って生きたのかを記述しているからである。順不同ではないのは後代に「El」の意味変遷などがあったと思われるからである。トーラーは不可触の書ではなかったのであろう。 |
מבנה
連絡先⬛︎graphico_ss@icloud.comへご質問がありましたらこちらにメールを下さい!療養中の身なれば固定電話は簡単には出られませんので。何卒、お許しください。
2016年4月6日水曜日
| 226)神が一つという事は一体何を表現したのか? |
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿