| 宗教とはある種の問いの体系でもあった。所が、何時の頃から救済の為の選択肢の様なものになってしまった。だから安易にこの門を潜れば全てが解決するものと安易に考えている人が居るのであろう。しかし忘れてはいけない!救済があったとしても自問し自ら答を出さなければならない事を!自らの問いに見合った答えを自ら得る事が救済があれば救済ではないのか?しかし救済とは余りにも安直なのである。我々が如何に安直に生きているのか、切実に生きているのかと言う事が問われて然るべきなのであろう。何故なら現在の我々は分業化、協業化が高度に発達した社会を作り上げてしまっており切実に生きるということをすっかり忘れているのであろうからである。 |
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