| ユダヤ人とは古代ヘブライ人を核にして育ったユダヤ教が民族化したものであろう。ユダヤ人と言うと全員が熱心なユダヤ教徒とは限らない。それが民族化のもう一面の事実であろう。血統にばかり拘っていると見えて来ない事がある。ユダヤ教は当初は民族、血統に宗教を託したものであったろうが改宗も許したのである。その為にはアブラハムの経験とされていることの追体験即ち改宗の手続き(割礼等)があったと言う事であろう。民族は宗教の器だったのである。 そう言う意味では日本人も特定の言葉は見付からないが、仮に言うと「日本教」教徒である。日本の神社が東進して行った様子は日本武尊の伝説と重なり、各神社の建立伝承は、西国の神社の分社として建てられたケースが多い事からも分かる。こうして日本人が縄文人を弥生人が呑み込み乍ら成立して行った事が分かり、その痕跡が神社建立の歴史に痕跡が見出だせるのである。という訳で宗教が核になって民族化する事は能くあることであり、我々の古代に経験済みの事だったのである。 民族は何を核に成立するかは、様々であろう。人間集団の力の源泉がその都度の事情で変わるだろうからである。共通して言える事は力の核を持っている事である。例えば騎馬民族は馬と言う移動手段がどの民族より優れて早い事であっただろう。更に遡れば、鉄器の使用に長けていればかなりの勢力を持てただろう。その事からすると、宗教的力とはどう言う事であろうか?新たな宗教が起ち上がる時には知性、感性と核になる人間関係(個人、家族)も必要だったかも知れない。 アーサーケストラーの書いた「第十三支族」という本は、未だ尾を引いていて偽ユダヤ人なる言葉も生みだしている。偽であろうと、本当であろうとユダヤ人大衆は存在するのである。その大衆は政治に宗教に世界に翻弄されているのであるがユダヤ大衆がシオニズムに翻弄されるのは止むを得ないところである。彼等とて自己を観る基準が何処にあるか、明確に出来ていない可能性があるのである。ユダヤ大衆はどんなに優秀であろうと大衆として生きざるを得ないのである。又その中から領導できる者の出現迄は。 |
מבנה
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2017年1月8日日曜日
| 宗教の民族化だった! |
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