| 偏見は無知から来るのだろうか?そうとも言える。ところが、無知とは言えない生半可な知識の上に立っている偏見もある。生半可な知識で偏見を太らせている場合もあるのである。生半可な知識で太っている為如何にも本当らしく見えるので、無知な者に信じ込ませる事が容易になるのである。偏見は脈絡を欠いている場合が殆んどで、無目的で、病原菌の様に蔓延り出すと止まらない、恐ろしい病気である。この病原菌は放っておくと多くの生半可な知識をくっつけて勝手に肥大化して行くモンスターに成長する。このモンスターの肥大化は止められない程早く成長する。これに加担した者は質の悪い事に罪の意識がまるで無いのが普通である。加担した者は生半可に理解をしていた勉強もしていた者達だった。だから余計質が悪く出来ている場合もある。 偏見のキッカケは目的喪失であろう。多くを知ったつもりが知の重みに耐え兼ねて、有機的な知の取り込みが出来なかった自己の立場の構築に失敗し目的を失った事によるのだろう。自己の立場を構築し損なった理由は客観主義の病である。客観主義が何処にも自己の立場というものを打ち立てられなかった事で迷路に嵌まったのである。客観主義は始めから無難な当たらず触らずの事しかできないのだ。個性を足掛かりにした自己の立場を打ち立てられないと言う立派な病なのである。これに気が付き直せるのは自己の自信回復なのであろう。それが出来るためには目的を失わない事である。目的を失う事が本末顛倒の結果を生み、苦しむ事になるのである。 トーラーから学べる事はこの様な事である。 |
מבנה
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2017年3月16日木曜日
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