| クリスチャンは偶像崇拝ではないと仰るが、どう見ても仰る事とやってる事が違う様です。多くの絵画彫像の存在が邪魔して旧約聖書の本質を味わいを妨害しています。味わいと言う甘い言葉を使った様に見えるかも知れませんが、旧約聖書=トーラーは人を惹きつける所に命があると考えれば、当然です。トーラーは普段の人の営為を追認しているのですから当然な事です。普段の人の営為とは生き抜く事に努力し、知恵を働かせ、新たな分野を開拓し、生きる術を搾り出しているではないですか?それを何故神様のお陰などと空砲を放つのでしょうか?的外れとはこの事です。偶像崇拝とは的外れな事総てを代表したものであると言う事です。 自ら成し遂げられた時は自らの力量をこそ讃えるべし!若し後押しするものを感じたなら嘘偽りの無い事を貫けた事を更に讃えるべし!である。 イエスはユダヤ教が嘗て数次の改革を経ている事を知ってか知らずか、対峙し否定して来た過ちに回帰し、踏み入ってしまった。更に過ちを許す基礎を築いてしまったのではないのか?クリスチャンはキリスト殺し!と呟いて叫ぶ前に何故?と言える様にして頂きたい!何故、復活が必要だったのか?或いは何故磔刑に処せられたのか?など。と言う様に。 |
מבנה
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2017年4月2日日曜日
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