| 欧米の文化がキリスト教と共に花開いた事で益々キリスト教は強い勢いを持ったのだろうが、そして中世以降、世界の隅々に福音主義の波に乗って拡がって行った。近代はそれを植民地主義に読み替えた。現代はそれらの名残りの世界と言って良い。しかし、被植民地ならいざ知らず、敗戦国日本が未だに欧米文化の神格化の夢から目覚めていないのは何故だろうか?我々は歐米キリスト教文化の前に知っておくべき文化があった筈であるのにと思う。それは歴史に「若しも」を求める様なものであろうが。 キリスト教会がヨーロッパに押し付けたものは「世界は既に出来上がっている」という既存観であった。何故ヨーロッパによる植民地主義が罷り通ったのか?福音主義という普遍主義の所為だったのではないか?既存観的世界観は日本に欧米崇拝によって植民地ではない形で輸入された。植民地にはならなかったが、欧米に振り撒かれた毒素を日本の知識人は欧米に追い付け!追い越せ!の国策を批判する契機を持たないまま欧米の学問をセッセと輸入したのである。学が批判力を持たないとどうなるかは日本の敗戦という事実が証明している。 世界性の既存観は人が正しいとか間違ってるとかの価値基準を神の代理人を設けて依存しなければならない関係を作る事になるのである。銘々、各々の自由な営為、活動に任せられないと言う硬直性を生む事にも繋がるのである。日本には16世紀にはキリスト教は到着していたが、信長、秀吉、家康揃って拒否した理由を興味を持って知りたいところである。 |
מבנה
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2017年4月6日木曜日
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