מבנה

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2017年10月14日土曜日

トーラーを旧約聖書と呼んでいるうちはまだキリスト教的神学から抜け切れていないのだろうと思わざるを得ないのだが、私は、今こそユダヤ教が様々に試行して来たことを何故人々は学び、同じ様に自ら学びの中に取り入れないのだろうかと訝しく思うのだ。ユダヤ教独りの内部の事として押し込めて学ぼうとしないのは何故なんだろうとつくづく思うのだ。これは単なる宗教の問題ではないのだが、人が対他的、対自的に人として生きる問題として良い事にも拘らずである。ユダヤ教を奇異な物として観ている人々が居るのである。それはそう言う人々が宗教の問題を単なる選択肢の一つにしか考えている様に観えるのだ。そうではない筈である。生きているのは自らが現実に生きているのである。何もユダヤ教の真似をしろと言ってるのではない。トーラーから、「自立した自分」の生き方に触発されるものはないのか?と言っているのである。

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