| 聖書と言われる書は本来はユダヤ教の根幹的聖典であったものをキリスト教が分派した時に自らの聖典として持ち出したものである。ところが、ユダヤ教としての聖書の扱いは表面的物語とは違い、人間のより良い営為が可能な様に応援する世界観として読んでいたものがキリスト教では概ね、世界の出来方から倫理など何から何まで固定した表面的世界観に固定化されて引き継がれてしまった。以降、聖書はユダヤ教とキリスト教とでは用途が全く違うものになって行った。様々経緯はあったにせよ、キリスト教はユダヤ教の真髄までは持ち出せなかったと言う事ではなかっただろうか。泥棒が金庫の中身を持ち出す事に見事失敗したのである。鍵の開け方が解らなかったのである。イエスが磔刑で刑死した理由がやや分かるのである。何故ならユダヤ教の神とキリスト教の神は同じではない事が解るからである。 |
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