| 私は予々神などの存在について外在的捉え方に反対して来た。外在的の意味は自己の存在、生き方を抜きにする事であり、自己の内在的葛藤を経ない精神過程の在り方即ち外付けの捉え方には反対して来たのである。だから、神が居るから/居ないからを根拠にした精神性の在り方には全く反対であった。神が居ようと居まいと自らの生き方を自己決定出来ない一般的決定の在り方は常に大変違和感があったと言わざるを得なかったのである。神を信じる者信じない者を引っ括めて外在性の故に私は一蹴して来たのである。流石にこの論理は周囲の理解は得られた試しは一切なかったのであるが。 |
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