| 日本には26聖人と言って秀吉の命令で1600年少し前日本人と外国人宣教師が長崎で処刑された事件があった。ローマは宣教師を送り出しておきながら、現地で処刑されると聖人に祀り上げるというシステムを作り上げて教勢の維持を図っていた。 私は殉教者と言うのは単なる宗教的犠牲者であると思っている。宗教宗団の保身でしかない。これを私は宗教の主客転倒、本末転倒あると断じる。末端信者は宗団の代理的な行為をする事は必要はないと思っている。宗団とは私権力の一種である。私権力の為に命を差し出す義務は一切無いと断言する。命どころか労力もで精神もある。 |
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