מבנה

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2018年6月24日日曜日

今何に抗っているのか?

抑もトーラーを読む事は言葉を乗り越え、論理を乗り越え、世界観を乗り越えなければならないので、二重三重の困難がある。特に我々は明治維新以来の西欧キリスト教世界の常識を被植民地以上の支配を被った国と言えるのではないか?西欧の価値観を身に付ける事が日本での地位に大いに役に立ったのである。それは西欧を支配したキリスト教的価値観が影の様に付き纏った価値観でもあったのだ。キリスト教の価値観とは無条件の善悪の承認であったのだ。さて、ところで、キリスト教は如何にして生まれたのであったのだろうか?抑も出身母体のユダヤ教を正しく理解した上で西欧に継承、君臨出来たのだろうか?実はキリスト教はユダヤ教の理解を不十分なまま拡散した疑いが払拭出来ないのである。その原典であるトーラーの理解が皮相的過ぎた事が私でさえ解るのである。トーラーは読み手を触発し行動に駆り立てる世界観を持っていると感じる事ができる。トーラーは世界は完成されてはいないので人が未知の世界の建設をする立場にあるとするのである。だから、トーラーの世界観は人の可能性が高いと言えるのである。その傍証として、ユダヤ人の活躍を見て欲しい。ユダヤ人は多くの学問を中心とする成果を残しているが、トーラーへの信仰のなせる技であったのである。キリスト教の新約聖書とは早い話がイエス伝であり、トーラーを逆向きに捉えて、キリスト教としての整合性を採る為に旧約聖書と呼んだのである。抑も旧約聖書と言われるトーラーとイエス伝集である新約聖書とは目的、編集方針の全く違う別物である。関連性は全くないものである。

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