| イエスと言う人と言うとイエスは人ではない!と怒る人がいるかも知れないが、彼は弟子を12人も集めた教団の主宰者だった。イエスは何故、同胞ユダヤ人によって処罰されなければならないのかが最後まで理解できぬまま磔刑死した。何故、ナザレでローカルな教団しか作れなかったのかも理解していなかっただろう。後継者達は磔刑死を直視出来ずその後イエスの神格化に奔走した。一番力を入れたのは奇跡など人間離れした技の蒐集であったろう。これは北のトーラーなど能く知らない大衆に受けるものであった。確かにトーラーが如何に奇跡などの行為が記述していてもそれを警戒して記述したのかの区別は解らなかっただろう。奇跡は行なう価値のある事として受け取ってしまうのは正に田舎者の証拠である。ナザレはヘレニズムの風が吹き荒れている土地であった。日本の戦後の占領風景と重なって見える。一億総アメリカ様々!である。イエスと言う人がどんな人であろうとキリスト教はヨーロッパによって加工された宗教となった。/…… 弟子達もユダヤ人だったのに神格化は全くしてはいけないことだったのにナザレユダヤ人達は箍が外れていたと言うしかない!拡散後は神格化が止まることはなかった。何故クリスチャンはトーラーに書かれてある事をシッカリと読めなかったのだろうか?不思議でならない!恐らくエルサレムから離れて情報に疎かったのだろうか?最初は子供の頃には幼稚な読み方でも構わないのであるがトーラーを憶えるだけで充分なので、大人になってから活用すれば良い事。そこまでしか読んでいなかったのでしょうか?しかし、トーラーと言うのは杓子定規に読んでは駄目!自分の事に、生き方に生かさないと全く意味が無いものなんですよ!書いてある事を受験勉強の様に憶えた所で全く意味が無いにも拘らず、何故か教団の主宰者はトーラーを能く暗唱し、〜と書いてある。と自慢していますよね?そうじゃないんですよ!ここで既に誤読が始まっちゃってるんですよ!トーラーの事を只引用出来ても意味が無いんですよ!引用は只の丸写しじゃないですか!トーラーの顛末から意味を拾って学ぶ事が一番大事なんですよ! イエスと言う人は何が間違ってしまったのか?それは人間措定だったと思います。人間である限りは特別な存在などあろう筈がありません!人間の範囲内で努力すべきだったのですよ!ユダヤに神の子は存在しようがないんですよ!ユダヤの伝統に完全に反してたんですよ!トーラーに学ぶとは自己の生き方自己実現に結実しなければ意味を成さないのです。幾ら解釈を繰り返しても何も出て来ません!ラッキョウと同じで! イエスは何故との引用などしたのだろうか?そのまま読んでも意味を成さないではないのか?そう言うところにイエス如何わしさを感じるのである。 |
מבנה
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2018年7月29日日曜日
| イエスと言う人 |
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