מבנה

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2018年8月10日金曜日

契約とは一体何だったのか?抑も、あったのか?

契約とはモーセがシナイ山で神と交わしたとは言われるが、そしてと新約、旧約とは言うがそもそも旧約はあったのだろうか?イエスがそう言ったから旧約があったと言うのだろうか?人とはどう言う立場で、神とはどう言う立場だったのだろうか?私はトーラーを読んでも契約とは感じられないのである。契約ではなく、警告という事なら解るのだが。イエスの感じ方には特殊性を感じるのである。それとも警告を契約と読み替えなければならない必然性があったのだろうか?イエスの考え方に先祖返りのような旧態な思考方法が潜入していると感じてしまうのだ。トーラーが警告との認識があれば契約と受け取る事はない踏み止まりかたをした筈と思うのだが!イエスは直感で発言をしていたのだろう。12人の弟子を抱えた教団の主宰者「教祖」だったので、後継者がイエスを神の子としたのだろうか?あったというしかない!イエスが「神の子」と言った時当時のユダヤ人同胞はコイツは何を言ってるんだ?とキョトンとしたであろう。有り得ない表現だった筈だ。何故同胞に理解されなかったのかイエスは理解出来なかったのだろう。それ程思考回路が違っていたのだろうか?

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