מבנה

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2012年10月16日火曜日

2)矛盾点も表現の内です

創世記冒頭には早速矛盾点が登場します。神名部文のElohimの普通名詞であることとYHVHの固有名詞であることとが 何故神は複数なのか?は元来そういうものとして有ったと云うのが答えと云うしかないのでしたが、じゃあ何故動詞が三人称、単数なのかという疑問に対しては明確には答えられないけれど、苦しまぎれにはElohimは尊厳の複数論の向うを張って「範疇の複数」という概念を提案します。こう云う例が他にもあると良いのですが、コンコルダンスでは限界があるようなので、もっとトーラーを読まないと分かりません。 「範疇の複数」と言う言い方も若干一神教に擦り寄った表現ですが、この際、神は一つではなかったと言うしかありません。その証拠と言えば、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と言う表現が何度も出て来ます.其々に立ち現われた神々だった訳です。この神々が全て一貫性があるのだと言う宗教的な主張、表出であったということです。 一神教に拘束されていると考え及びませんが、トーラーが思考の過程的状況を捉えて表現しているのだと言うことを理解すれば理解出来るものです。
矛盾は合理化して説明すべきことではなく、それを表出された正当な表現と認めその意味を考察すべき事と理解すべきでしょう。

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