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2012年12月22日土曜日

37)閑話休題「 トーラーと日本人 」

ここで一息つく事にします。トーラーとはユダヤ人のご先祖達が生存の為の苦労とそれに対する救済のための処方を絶対に忘れない為の財産として残しておく金庫に大切にしまった遺言書の様なものです。この金庫の遺言書には有りとあらゆる物が一緒くたに詰め込まれています。それでは整理が付かないので神という言葉をキーワードとして有りとあらゆる物を吊り下げて置くハンガーのあるクローゼットの様なものです。ハンガーを掛けて置く中心のバーのところに神という概念がある様にしてあるわけです。
上記で一緒くたにと書きましたが、決して恣意的にという意味ではなく、総てを対象化すると言う意味においてです。 分け隔てなくと言う意味においてです。確かに雑然とした印象がありますが、整理できる仕組みは既に作ってあります。それを読み逃すと、とんちんかんな迷路に迷い込む事になります。我々日本人には弁えた読み方をすべき筈です。それは、先入観を取り除く事が必須となります。
クリスチャンには誠に申し訳ないのですが、キリスト教成立時に埋め込まれた抜き難い先入観があります。それが邪魔して旧約聖書=トーラーへの理解が及ばない、或いは非常に扱いが浅薄になってしまうのです。
我々日本人にとってトーラーとは異国の、他民族の書物でしかありませんが、だからこそ正しい理解が必要と言うべきです。ヨーロッパ的思想のフィルターを通しての理解は危険過ぎます。こう言う事は遅いも早いもありません。気が付いた時点で訂正すべき事です。
それでは、抜き難い先入観とは何でしょうか?それは端的に言うとトーラーに書いてある事を正確に受け止めて無いという事があって、一例を示すと神は一つしかない、一人しかいないと言ってはいないです。それでは、沢山いるのかというとそれも違います。数の事に拘泥して書いてはいないんです。じゃあ本当はどっちなんでしょうか?数の事を言う為にその周辺に前提条件が設けられていないでしょうか?よく登場するのが、「アブラハムの神、イサクの神、やコブの神」と言う言葉がある筈です。えっ?すると神は三人?「モーセに現れた神」は?入れると四人だ!ですから、数の問題では無いという事を解らなければ行き詰まります。
ここで、近現代を通過中の日本人にはしっかりした理解が必要になってきます。トーラーの真の理解の為に妄信でもなく盲信でもなく近現代の私達にとって真に力になるトーラーの姿を知っておくべきでしょう。昔のユダヤの先人はekhad(一つ)一語であっさり済ましたところは我々日本人には「一貫性」という言い方の方が馴染めるかと思います。寧ろ、神の創造性、神の仕事の在り様、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、モーセの神等を現代の日本人が統合して理解出来るかどうかに掛かっている訳です。その様に読み替えていかなければ、トーラーはタダの古代人の書いた時代錯誤の物語でしかありません。我々にとって力になる様にする為には、先人がどの様な意識で書いたかを探る事は避けて通る訳にはいかないでしょう。/加筆予定

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