מבנה

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2013年1月17日木曜日

44)我々は多神教を一段低く観てはいなかっただろうか?
これは偏見であると断じます。

我々は、多神教を原始的な未発達な民族が信仰する遅れた宗教だと見下してはいないだろうか?そして、恰も一神教が優れた位置にいる絶対的な神を信奉する、他を睥睨し得る宗教だと考えてはいますまいか?もし、一神教が他を凌ぐ優れた宗教だと思われる方は最早公平な眼を失っているのではないでしょうか?その優れたと思われる神にご丁寧にも「様」を付けて「神様」と言い慣わし、奉り上げることは、本義的「神々」という共有概念を一方的な架空の概念に作り変えた強引な押し付けと言うしかありません。未だにトーラーתורהにおいては、神の部分は「神々」と表記しています。表現の必要があって「神々」としているのです。明らかに理由があってのことなので、「神々」を単数であると言い包める必要は全くないのです。堂々と「神々」と読んでしまって良いのです。何か表現したい事、主張したい事があった筈です。尊厳の複数などと説明するには及ばないのです。逆に尊厳の複数などと無理に説明することによって見えなくなってしまうものが出て来てしまうのです。じゃあ、動詞は単数ではないかと言いますか?私はそこからが考えどころじゃないですかと言いたいです。どうしてそう言う矛盾を冒してる様にみえるかを表現者の立場に立って思いを馳せたいと思います。感性を探ろうじゃないですか。トーラーは確かに「神々」としていますが、科学的とするほど複数の神だったのでしょうか?ここでは一旦原義の「力」の意味を再度なぞる必要がありそうです。力に直す事によって神を先行して読むのではなく力が発露された状態として記述されているのではないかと発想を逆転させる事が出来ます。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と纏めて度々表現されるように注目すべきことです。三族長の発露した力だと理解出来ると思います。トーラーはトーラーのなかで根拠と答えを用意していると言えます。

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