מבנה

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2013年1月20日日曜日

45)トーラーを学ぶと言う事は…

トーラーתורהを前にして単にそれを知ると言う事だったら、我々には何の変化を体験する事はないでしょう。我々の中には本を読んで深く価値観の変わったという体験を持つ方も少なからずいる事と思うのですが、私が危惧する事は、トーラーתורהが宗教書と言う事で、この書に対して無謬であるという先入観というか、まさか間違った事は書いてないだろうと言う思い込みを持って取り組むと、もうそこでその方は自らこの書を閉じてしまったも同然ですと言わなければなりません。読むに当たって縛りを設けてしまったのです。それではトーラーתורהは誤謬の書とでも言いたいのかと怒られそうですが、そう言う事では無いのです。人間と神も含めた世界の総ての営為と考えられた事の描写であったと言うのが私の捉え方です。ですから、トーラーתורהは文学である訳です。人間だけの営為に狭めなかっただけです。最終的には人間の営為と考えて良いのですが、取り敢えず神も含めてと言っておきます。追い追い人間と言うところに焦点が絞られる事になりますから。何故、人間に焦点が絞られる事になるのでしょうか。この書は読み手に疑問を持って読めと言ってるのです。実はこの書は様々な処に仕掛けと言うか躓く箇所を設けてあるようなのです。「躓いて転べ」と意地悪そうに黒子が隠れていてヒソヒソ呟いているのです。この黒子は読み手が躓いてくれると、待ってましたとばかり、「どうして躓いたか考えろ」と更に追い討ちをかける様に呟きます。黒子はジワジワと誘導の手を緩めず真に言わんとしている処に我々を導いてくれる筈です。その為には読み手の自立した強さが無ければたどり着けない仕組みになっているのです。恰もモーセに率いられたイスラエルの民の様に険しい辛い道を歩かされる様なものです。書を読むのだって砂漠の辛い旅と同じです。石に躓きながら歩むのが当然の様なものです。唯、道を歩むに知恵が必要とは思わなかったでしょうね!?ありきたりの感覚でこの書は読めませんよ有難い事なんて書いてある訳ではなくて知恵を働かせて読みなさいよと言われてる様なものです。その為には言葉だけを鵜呑みにしてもダメです。この書の組み立て、感性に触れる事なく、この主張を理解する事は絶対に出来ませんよ。「神様!神様!」とお題目を唱えても何にも出て来やしませんよ!トーラーは色んな意味で警告の書です。読むに当たって善意の解釈など受け付けません。新約を読み慣れた読者にはここには全く違う世界観があると/……

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